ネット広告屋の詭弁

third party script blockerに良いものがないかを検索していたところ、 「Appleによる広告ブロックを整理して考えてみる – niwaringo(){blog}」というblog記事に行き当たり、記事内容の特に「誰が広告を消していいのか?」という部分に論理が破綻していると感じたので言及してみる。

第3段落にこうある

これをリアルで置き換えてみるとどうでしょうか? 「うざい看板広告が自分の散歩体験を損なっているから撤去する」、きっと警察に捕まりますよね。

まず、お散歩している道にある看板広告という例えだ。お散歩している道である公道の看板広告には法や条例で看板を出せる範囲が規制されているので、意図的な脱法看板広告ではない限り、法や条例に基づいて一定の秩序の元に看板広告は掲出されているはずだ。よって公道に法と条例を遵守した看板広告を通りがかりの人が勝手に撤去してしまったら、官憲の介入はあるだろう。

では逆にこれをThe Internetに置き換えよう。まず端末からISPまでの回線は、一般的に利用者が自ら契約して代金を支払って用意したいわば私道だ。その私道はISPとの契約に基づいた道幅(=帯域)が規制されている。この規制された道幅の私道を使用してネットのお散歩をしていると、Webブラウザという視界にWebページによっては視界を埋め尽くすに等しい無秩序なネット広告が表示される。このネット広告は当然規制された私道の道幅を何らの規制も受けずに、利用者の事前許可を得ることなく無断で使用している訳だ。私道であるのだからどのように看板広告を撤去しようが官憲の介入はあり得ない。

よって、第3段落は詭弁だ。

第4段落にはこうある。

なぜ、オンラインなら許されるのでしょうか。本来、広告を消す権利は当事者しか持っていないはずです。

「当事者」が何を差しているのか不明確ではあるが、文脈から広告主または広告配信者であろう。とすれば、権利を主張する先が間違っている。広告屋が有している権利は、広告を「掲出する」権利であるはずだ。また文脈からそれるが、広告を見せられる利用者も「当事者」だ。さらにこの文面からうかがえるのは、「広告屋の権利は主張するが、広告の配信を受ける利用者に一切の権利を認めない」という主張だ。お前は何様だと。

第5段落にはこうある。

広告でご飯を食べている人はたくさんいます。みんな霞を食べて生きてはいけません。つくったコンテンツだけ消費されて、広告収入を得られないというのは、やっぱりおかしいと思うのです。

これはもはや乞食の論理でしかない。利用者が対価を払うと納得できるだけの説明ができないが、食い扶持を出して欲しい乞食が「俺にも食わせろ、俺にも食わせろ」と利用者に無心している姿しか思いつかないとても醜い主張だ。

やはり、もはやネット広告は害悪だに帰結してしまう。

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